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最高裁判所第二小法廷 平成8年(オ)2551号 判決

東京都中野区若宮二丁目四番二号

上告人

高橋康樹

千葉県木更津市富士見二丁目七番一八号

木更津税務署内

被上告人

川畑周悦

東京都中野区中野四丁目九番一五号

中野税務署内

被上告人

佐藤信也

被上告人

右代表者法務大臣

松浦功

右指定代理人

吉越満男

泉本良二

右当事者間の東京高等裁判所平成八年(ネ)第一五六二号損害賠償請求事件について、同裁判所が平成八年九月五日に言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断及び措置は、原判決挙示の証拠関係及び記録に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。所論は、違憲をも主張するが、その実績は、独自の見解に基づいて原審の措置の違法を主張するものにすぎない。論旨は、いずれも採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 福田博)

(平成8年(オ)第二五五一号 上告人 高橋康樹)

上告人の上告理由

第一、はじめに

上告理由を以下に述べるにあたり、まず本件第一審訴訟行為において主に甲第四三号証および甲第四四号証より認定できると考えられる事実及び推定できる事実について記述しておきたい。

1、本件第一審第二回口頭弁論の非公式記録である甲第四四号証録音テープには、被告国指定代理人側がこのとき被告佐藤信也の甲第7号証及び甲第8号証における誤記原因について弁明した。『名簿』を事前に作成していたことに起因したものという陳述(甲第四四号証及反訳七頁三行ないし一七行。)を、上告人(原告。以下、本件「原告」および「控訴人」と記述すべきところも特段の事情がない限り、上告人と記すことにする。)も担当裁判官荒井九州雄(以下、裁判官荒井と記す。)も、被告国指定代理人側の右弁明陳述を事実言明として理解していることがはっきりしている口述箇所が二箇所ある。これをその反訳中で指摘する等と、一つは甲第四四号証反訳一二頁一九行ないし一三頁一五行であり、一つは、同反訳一五頁一三行ないし一六頁四行である。これに対して、被告国指定代理人側の右弁明陳述を可能性上の言明として裁判官荒井も上告人も理解している旨表明したり、あるいは、それを窺えさせる口述箇所はどこにも見当たらない(右反訳中の被告指定代理人側の右弁明陳述として指摘した箇所以後には、右反訳のどこにも、裁判官荒井や上告人のそのような理解言明を見い出せない)。しかも、裁判官荒井にあっては、右指摘二箇所のうち、前述箇所(反訳中では、前記箇所。)においては、「被告のほうの調査では」「税務署が扱っている名簿(のところに)並んでいた」と言明しているし、後述箇所(反訳中では、後記箇所。)においては、「名簿に」「実際その」「あなたが調べられた実在した(人物が)いる」とまで明言している。この両者の理解からしても、被告国指定代理人側の為した右弁明陳述は、事実言明という趣旨で表明されたものと当然推定でき、仮に可能性上のものという趣旨で表明されたのであれば、右に二箇所指摘した裁判官荒井と上告人との間の口述箇所で、被告国指定代理人側は、この両者の理解が誤解である旨理解の訂正を申し入れるべきであると考えられるところであるが、どちらの口述箇所においても被告国指定代理人側は、そうした訂正の申し入れを為していないし、また、右反訳が示すように、右二箇所以後においても、一切その訂正の申し入れを為していない。さらには、甲第三〇号証で明らかなように、被告国指定代理人高野博も同指定代理人井上良太も、右口頭弁論のあった翌日の上告人からの電話の際に、それが可能性の上から話したものである旨断りを入れていない。したがって、以上の事実より、被告国指定代理人側の右口頭弁論における『名簿』云々という右弁論陳述は、右『名簿』の存在を事実上のものという趣旨で為された事実言明(事実を指摘する言明)として表明されたものと考えられる訴訟行為である。

なお、事実言明としての理解の表明を為しているのに相当する、裁判官荒井と上告人との間の口述箇所として指摘したのち、前述箇所(反訳中で前記箇所)では、上告人は、被告国指定代理人側の右弁明陳述が、虚偽弁明であることをおよそ立証できる旨表明しているが、このときこうした表明を為させたのも、上告人が右口頭弁論の前日平成七年九月四日に高橋正俊の妻から電話にて高橋正俊のことでということで高橋正俊が当年平成七年には修正申告を為していないということを聞き出していた(甲第五二号証及び甲第五四号証)からであり、高橋正俊当人の右修正申告に関する事実からすれば、被告国指定代理人側が甲第七号証および甲第八号証を作成するにあたり名簿を作成したというのは、修正申告事務をするにあたり名簿を作成したと表明したものと容易に理解でき、そうであるならば、この弁明陳述は、高橋正俊当人についての右確認事実からすれば、瑕疵ある事実を公然と弁明したものと容易に判断されたため、これが虚偽弁明陳述に相当するものに違いないと認知できたからであった。

二。右に、本件第一審第二回口頭弁論における被告国指定代理人側の『名簿』云々という弁明陳述が、可能性の態様を指摘する言明ではなく、実際の事実を指摘するという趣旨で為された言明であったことが明らかとなったと思われるが、被告国指定代理人側は、本件第一審第三回口頭弁論後、第四回口頭弁論までの間に『文書提出命令申立てに対する意見書』を作成(記載日付け、平成七年二月一四日。)している。右『意見書』によれば、「誤記を生じた可能性のある態様として、『仮に、名簿のようなものを作成していたとすれば、見間違えたのかもしれない。』旨答えたに過ぎず、被告国の主張を明確にするために文書の存在・内容について積極的に言及したものでないことが明らかである。」ということだが、甲第四四号証によれば、いずれに右『意見書』の右引用に見られる主張が明らかであるのか、はっきりとしている訳ではない。ただ、一、に記載の被告国指定代理人側の『名簿』云々という弁明陳述の前に、裁判官荒井の釈明を促す言葉において、誤記理由についておよそ可能性上のものを求めたものと解される言葉が使用されていたということだけがはっきりしているだけである。裁判官荒井のこと言葉は、誤記原因についてはおよそ事実確定的に言明できるものではないだろうと推測了解しての表明であると考えられる。仮に、この裁判官荒井の言葉を受けての被告国指定代理人側の『名簿』云々の弁明陳述が、裁判官荒井の促したとおりの可能性のうえでの話であったとするならば、それを裁判官荒井が自認したのが一、に指摘した二箇所それぞれの口述箇所ということになるが、そこで裁判官荒井が自認言明として用いている文言は、過去言明による断定の形をとった事実確定的な形式の言明であり、上告人に対して裁判官荒井は、被告国指定代理人側から聞いたのは可能性上の話であると理解したうえで、右事実確定的な形式の言明をもってそれが実のところは可能性を指摘する言明にした過ぎないものであってもそれを断わることなく口述し、これによって被告国指定代理人側の右弁明陳述を可能性上のものということで自認したということになる。これは通常考えられるだろうか。仮に、上告人が被告国指定代理人側の右弁明陳述を可能性という趣旨のもとで当然のことながら理解しているものと、裁判官荒井が了解していたとしても、可能性の話を為すにあたっての通常執りうる口述のあり方、とりわけ事実認定を合法的に為す場である法廷においての可能性の話を為すにあたっての口述のあり方と言えるだろうか。仮に、事実確定的な断定を表す過去言明による口述が、可能性上の話を指示するものとして許容され、さらにただ可能性上の話にとどまるものとして話されていることが個々人においての了解であることが前提されていたとしても、事実確定的な断定を表す過去言明を為す前後において、逐一それが実際に存した事実を指示するのか、単なる可能性上の話にとどまるものを指示するのか、確認を採らなければ、それはただ錯乱や錯誤に陥る会話でしかないものだろう。したがって、一、に指摘の二箇所において、裁判官荒井と上告人の双方とも可能性上の話ということを前提にして話しているとの暗黙の了解が成り立っていると裁判官荒井が了解していたとしても、両者の間に明確な形で可能性上の話という前提が確認されている訳でないから、これを明確に確認しようとするのが自然で、やはり可能性の話と断わった後で事実確定的な断定による過去言明を持ち出して口述するか、あるいは右過去言明後に改めて右断わりを付加して口述するか、というのが通常であると考えられる。上告人が可能性上の話という理解を為していないものと裁判官荒井が了解しいたならば、これは論外で、可能性上の話をその断わりもなく事実確定的な断定による過去言明で口述するということは考えられない。したがって、被告国指定代理人側の『名簿』云々という弁論陳述について裁判官荒井が自認した口述箇所である一、に指摘した二箇所については、一、に記述したように被告国指定代理人側の右弁明陳述を事実言明として裁判官荒井が理解し表明した部分であるとして解するのが相当である。

また、被告国指定代理人側の右弁明陳述が、仮に、可能性上のものという趣旨でそした趣旨である旨の断わりもなく為されたものとするとき、裁判官荒井と上告人との間の被告国指定代理人側の右弁明陳述についてやり取りを為した部分として一、に指摘した二箇所の口述箇所において、特に裁判官荒井が事実確定的な言明を述べているにもかかわらず、この両者が可能性の話として理解したがうえで口述していると、本件第一審第二回口頭弁論の被告国側の出頭者高野博、田部井敏雄、井上良太の三名いずれもが、さらに了解していたと、解することはできるだろうか。裁判官荒井がすでに被告国指定代理人側に対して可能性の話を求めていたとしても、右指摘二箇所での裁判官荒井の自認の言明には、可能性の話という断わりが一切なく事実確定的な断定による過去言明をもって為されたのであるから、救釈明した者とこれを受けて釈明した者という二者以外の第三者である上告人が、可能性の話として了解するものと被告国指定代理人右三者のいずれもが期待できたにしても、それはあくまで期待に留まるもので何ら確実なものではない。今一度改めて、『名簿』云々という弁明陳述が、単なる可能性の話にすぎない旨誤解の起こらないように上告人に対して直接か、あるいは裁判官荒井に対して申し入れを為すのが通常であると考えられる。しかしながら一、に記載したように、こうした行為は、被告国指定代理人側には本件第一審第二回口頭弁論においては存しないから、したがって、被告国指定代理人側が右『名簿』云々弁明陳述を可能性上のものという趣旨で為し、一、に指摘の二箇所において裁判官荒井と上告人とが右趣旨を理解したうえでやり取りを為しているものと被告国指定代理人側各出頭者がさらに了解していたと、解するのは相当でないと考えられる。しかも、被告国指定代理人側が右『名簿』云々弁明陳述を可能性上のものという趣旨で口述し、一、に指摘の二箇所において裁判官荒井と上告人が右趣旨を理解せずに事実言明として理解してやり取りが為されているものと、被告国指定代理人側の各出頭者が了解していたというのであれば、誤解を訂正する旨の申し入れを為すのが当然であることは無論のことである。したがって、そもそも被告国指定代理人側が『名簿』云々という弁明陳述を可能性上のものという趣旨で為したものと解することが相当でないものと考えられる。

以上の判断により、改めて一、に記載したとおりの判断が成立することが確認され、被告国指定代理人側の右『意見書』の右引用箇所に見られる主張は、裁判官荒井の釈明を求めた言葉の態様だけから、そのように一応取って付けて主張でいるという理由が存するだけで、右に見たように裁判官荒井が第二回口頭弁論においては被告国指定代理人側の右弁明陳述を事実言明として理解したと解することが相当であることを考慮すれば、右『意見書』の右引用箇所に見られる被告国指定代理人側の主張が真実であることを明らかにする理由や事実が、第二回口頭弁論における訴訟行為全般にわたって何ら存していた訳ではないと言うべきである

したがって、右『意見書』の右引用箇所に見られる被告国指定代理人側の主張は、それが信憑性に足るものだとすれば、第二回口頭弁論における訴訟行為からは信憑性を保証する理由や事実がどこにも見い出せない以上、第二回口頭弁論後から右『意見書』作成の日と考えられる同書記記載の日付平成七年二月一四日までの被告国指定代理人側の訴訟行為から信憑性を保証する理由や事実が見い出せるがゆえに為したものと、解するのが相当と考えられるものである。

三、本件第一審議口頭弁論後から第三回口頭弁論開廷前まで、および第三回口頭弁論閉廷後から右『意見書』記載の日付平成七年二月一四日までの間に、右『意見書』の右引用箇所に見られる主張が信憑性に足りるものであることを保証する訴訟行為のなかったことは、第一審訴訟記録上全く明らかであるから、もし右主張が信憑性あるものと認められるとすれば、第三回口頭弁論において被告国指定代理人側の行為に信憑性を保証するに足りる行為が見い出せる場合でしかない。

甲第四三号証によれば、その反訳中三三頁四行ないし五行で見られるように、被告国指定代理人側は、第二回口頭弁論で自らの側が持ち出した『名簿』云々弁論陳述行為を為したことについての責任を明らかにする認否すら明確に為さず、ただ上告人の『第二準備書面』や甲第三〇号証(甲第五〇号証が示すようにこの両者は平成七年九月二二日に同時に提出され、甲第五三号証本件第一審予納郵便切手保管袋の写し他によれば、その送達手続きが同年同月二七日に為されていることが明らかである。)で右弁明陳述行為のあったことを指摘されているという事実に仮託して『名簿』云々弁明陳述行為を為したという事実があった旨指摘されているとの表明を為すに留まり、さらにそうした表明に続けて「申告書を綴っておいて」「それでもって」「それを名簿代わりにして」といった旨の『名簿』という観念を第二回口頭弁論で為した前言が指示する事象とは別個の事象に転用させた形の言明を「確認しましたところ」という言に続けて、その言明趣旨が可能性上のものであるとも事実上のものであるとも明らかにせず表明している。さらに甲第四三号証によれば、その反訳中四一頁一六行ないし四二頁五行に見られるように、ただ『誤記理由についての弁論を求められても無責任な回答しかできない筋合いのものである』と表明していると解される言明を為して、それまでの誤記理由についての弁論が、ただ可能性上のものでしかないことを暗に窺わせている言明があるばかりである

この甲第四三号証が明らかにする事実に見られる被告国指定代理人側の訴訟行為は、次に示す、第二回口頭弁論においてとった被告国指定代理人側の『名簿』云々弁明陳述行為から発生した事実につき対応すべき被告国指定代理人側の訴訟行為のあり方に対する判断からは、遠いものと言わなければならない。

右に記述したように上告人は右『第二準備書面』を本件第一審第三回口頭弁論指定期日平成七年一〇月一二日より相当以前に提出し、さらに担当書記官金子昌也は、右『第二準備書面』をやはり右指定期日より相当以前に送達手続きをとっている。したがって被告国指定代理人側は、第三回口頭弁論までの相当以前に右『第二準備書面』を参考にすることができたことがほとんど明らかであるが、この『第二準備書面』で上告人は、被告国指定代理人側の『名簿』云々という弁明陳述を、高橋正俊が修正申告を一度も経験していないという事実(甲第三一号証)から『名簿』が虚偽公文書に相当するとの観点等からそれが虚偽弁明である旨指弾している。したがって、右二、に記載の『意見書』の同じく二、に記載の引用箇所に見られる可能性上の話であるという趣旨を被告国指定代理人側が真実主張するのであれば、被告国指定代理人側からすれば右上告人の『第二準備書面』における主張は理由のないもので『誤解』にすぎないものであると容易に認識できるわけであるのだから、上告人の『誤解』を明らかにする意味でも自らの側が第二回口頭弁論において為した『名簿』弁明陳述行為に対しての弁論を、少なくとも第三回口頭弁論において明確な弁論を伴った訴訟行為として速やかに明らかにすべきものと考えられる。

しかしながら、被告国指定代理人側のいてこうした対応があってよいべきところ、すでに右に見たように第三回口頭弁論において実際にはそうした明確な対応がなく、甲第四三号証によればまた、高橋正俊に関する上告人よりの指摘事実について第三回口頭弁論において被告国指定代理人側が一切触れることがなかったこともほとんど明らかである。しかもさらにそのうえ、右に見たように、第二回口頭弁論における自らの側から為した『名簿』弁明陳述行為についての認否すら責任をもって明確に与えることのない形で、第三回口頭弁論において弁論が為された訳である。第二回口頭弁論における自ら為した『名簿』弁論陳述行為についての認否すら避けている弁論のあり方に、いったい、右『意見書』の右引用箇所に見られる主張についての信憑性を保証する理由や事実を見い出せるものが存すると、言えるものであろうか。

訴訟行為に係わらずこのような行為や供述に信頼性を措くことができないというのが経験的事実であるから、被告国指定代理人側の第三回口頭弁論における右のような弁論のあり方を基本姿勢とする訴訟行為に信憑性に足るものを見ることができないと考えるのが相当であると思われる。したがって、右『意見書』の右引用箇所に見られる被告国指定代理人側の主張についてその信憑性を保証する理由や事実が、第三回口頭弁論におえる被告国指定代理人側の訴訟行為からすらも見い出すことのできないことも、ここで明らかとなった。

四、以上一、ないし三、より、二、に記載の『意見書』の、同じく二、に指摘の引用箇所に見られる被告国指定代理人側の主張には、何らその信憑性を保証する理由は事実の存しないことが明らかとなった。したがって、右『意見書』の被告国指定代理人側の主張は斥けられ、一、に指摘した判断が排斥される理由も事実も存在しないことになるから、一、に指摘した判断は妥当であり、これにより一、に指摘した第二回口頭弁論に関する記述は認定できるものと考えられる。

したがって、本件第一審で上告人の『第二準備書面』を経て、さらに上告人の『文書提出命令申立書』を経て為された『文書提出命令申立てに対する意見書』による被告国指定代理人側の主張は、およそ信憑性の存しない、一、に指摘した第二回口頭弁論における実際の事実に背いた、後になって取って付けた被告国指定代理人側の得手勝手な説示と認定できるものと考えられるものである。すなわち、右『意見書』は、虚偽公文書であり、これを第一審において被告国指定代理人側が行使して上告人の訴訟活動を妨害したのは、虚偽公文書の行使という明確に公序良俗に違反する訴訟行為をとったと認定できると考えられる行為である。

五、被告国指定代理人側の『文書提出命令申立てに対する意見書』を提出しこれを行使した訴訟行為は、四、に記載したとおり認定できると考えられる訴訟行為であるから、上告人が甲第五一号証の二、平成八年九月二〇日付告訴状の写しにおける告訴の理由二二、の記事中二〇行ないし二七行(二二、の記事の初行を第一行として行数を数えた。)で指摘したように、被告国指定代理人側が第二回口頭弁論において誤記理由について確定して弁明するという実際にとった弁論趣旨を、故意にかつ不当に撤回し、自らの側に訴訟展開上有利になるように第三回口頭弁論以後において意図的に方向転換させた訴訟行為が明らかに存在したことは認定できる事実であると考えられる。

誤記理由について被告国指定代理人側が右のように故意に方向転換させた動機および具体的な経緯については、次のように推定できる

上告人が、すでに甲第一三号証(被告国指定代理人側は、乙第四号証として提出。上告人の記憶では、被告国指定代理人側からの乙第一ないし八号証を、本件第一審第一回口頭弁論に出頭した際に被告国、被告佐藤信也、被告川畑周悦三者の答弁書などと併せて廷吏から受領した。なお、被告国指定代理人側が提出した本件第一審第一回口頭弁論指定期日と同日の平成七年七月一三日付答弁書には、乙第一ないし五号証までについての記述が見られることにより、右乙第四号証および後述の甲第一九号証でもある乙第五号証を、被告国指定代理人側が第一回口頭弁論までに参考検討したであろうことは明らかと思われる。)平成七年五月一〇日付被告佐藤信也宛内容証明郵便で、誤記理由についてぜひとも明示して欲しい旨の要求の意思のあることを窺わせる内容を記述していること(右内容証明郵便一行ないし一二行)、さらに、甲第一九号証(被告国指定代理人側は、乙第五号証として提出。)平成七年五月一九日付被告川畑周悦宛内容証明郵便で、誤記理由についてぜひとも質したい旨待望していることを窺わせる記述(右後者内容証明郵便一枚目一八行ないし二一行)、被告川畑周悦が誤記理由について上告人の母親に電話で明らかにしたこと(右後者内容証明郵便一枚目二二行ないし二五行。その明示内容については、甲第四五号証上告人の母親の平成七年五月一六日付手記に窺われる。なお、右指摘箇所では、被告川畑周悦が上告人に来宅して謝罪したときも、誤記理由について弁明したと受け取れる記述になっているが、これは、被告川畑周悦が謝罪を為したことが都合二回あったことと、そのうちの電話での謝罪のときのように誤記理由についての弁明が併せてあったことを、判然とさせずに一緒くたに記述したことによるものである。)、被告佐藤信也が甲第七ないし一〇号証を上告人に送付したことを含む中野税務署側の諸行為について少なからぬ疑義のある旨の表明と解することのできる記述(右後者内容証明郵便三枚目二二行ないし二四行)、および民事法廷においてぜひとも右疑義のあることがらについて尋ねたい旨の意思表明をした記述(右後者内容証明郵便三枚目二五行ないし四枚目六行)を為していたことからすれば、こうした上告人における要求や事実の指摘および疑義の表明を第一回口頭弁論までに参考検討することのできた被告国指定代理人側が、まず、弁論を為すにあたっての事前調査として、被告川畑周悦の為した誤記理由についての電話による弁明を、甲第四五号証に見られるような内容のものとして被告川畑周悦がおよそ事実上のものという趣旨からのものであると判断できる程度のもので為していたことを、突き止めていたことは推定できる。そこで被告国指定代理人側は、右のようなものとして突き止められた被告川畑周悦の為した誤記理由弁明を上告人が又聞きし、上告人がますます中野税務署側に不信を抱くようになったであろうことが、右に見たような記述内容をって甲第一三号証(乙第四号証)や甲第一九号証(乙第五号証)からすれば被告国指定代理人側にとってたやすく認識できた訳であるから、そもそも上告人がその訴状において被告佐藤信也の為した誤記が中野税務署側のいやがらせ等の個人干渉を目的とした故意工作である旨指弾していることから鑑みて、被告川畑周悦の電話による誤記理由についての右のような弁明内容が、被告佐藤信也が為した誤記行為をいかにも取って付けて理由あるらしくほのめかして弁明したものであったと上告人において認識され、もって中野税務署側に対する上告人の疑義をいっそう強め、そのままでは右故意工作という上告人の主張をさらにいっそう補うような上告人にとって有利な材料となっているものと、さらに進んで判断したものと推定できる。さらに被告国指定代理人側は、事前調査により高橋正俊が平成七年内に修正申告手続きを為していないという事実についても確認していたものと推定できる。したがって、もしも上告人が高橋正俊に関する右事実を突き止めていれば、被告川畑周悦が誤記理由について右のような軽率な弁明を為した事実は、被告側にとって決定的な失点ともなりかねないものとして認識されていたと推定できる。そうすれば、被告国指定代理人側は、弁論を有利に展開する関係上、上告人において度重なって生じた疑義を駆逐し被告側にとっては相当な失点ともなりかねない被告川畑周悦の誤記についてすでに為されてしまった弁明内容を生かしもする弁論を何としても展開しなければならないとの弁論指針がまず立てられたものと推定できる。そして結局、被告国指定代理人側は、失点回復の弁論を展開するにあたり、次のような二種類の弁論を用意したものと考えられる。被告国指定代理人側が、被告川畑周悦の誤記理由についての右のような弁明を、事実上存在した理由という趣旨から為された一応の取って付けの架空の弁明であったことを承知のうえ、一つ考えられたのは、被告川畑周悦が事実上のものという趣旨を窺わせる程度のもので誤記理由を漠としてほのめかすに留まる程度に上告人の母親に弁明したという事実により、これをもっともらしくある程度まで具体的にして上告人がある程度納得いくように擬装して体裁を繕うこととし、そのようにして用意した仮空の誤記理由を事実上のものという趣旨から弁論を試みるといいうものであり、今一つ考えられたのは、上告人が認知しているのは上告人の母親からの又聞きにしかすぎないものであるという事実より、上告人が被告川畑周悦の実際の言葉を耳にしたのではないのだから被告川畑周悦の弁明は、その趣旨が単なる可能性上のものという観点から為されたものであったという主張を十分に通用させる余地はあるものと判断できるゆえこれを弁論とし試みるというものである。前者は、高橋正俊に感るう右調査事実からして敗因ともなりかねないものであるし、後者は、上告人の母親や被告川畑周悦の上告人側からの証人申請が通った際失敗に帰す可能性をもかかえている。つまりは、いずれにしてもリスクは存在するということが被告国指定代理人側に明らかに認識されていたものと考えられる。こうした一応可能的な二種類の弁論なり弁論趣旨なりが、被告国指定代理人側にはさしあたり二者択一的に用意されたと推定できるが、次のような種々の観点を勘案する形で被告国指定代理人側は、第二回口頭弁論までに、実際には、右二種類の弁論のうち後者は前者を故意に撤回するときの可能性上の話という弁論趣旨から弁論を再構築するうえでの出発点となるものと定めて、初めは前者を、それで旨くいかないときは後者を出発点とする可能性上の話という弁論趣旨への切り換えを、といった二段構えのものに、以下に見るように具体的に組み上げて弁論を実行することに弁論方針を決定したものと推定できる。

被告国指定代理人側は、第一回口頭弁論で、上告人が訴訟に関し全くの素人であると観察することが(あるいは改めて確認することが)できたであろうし、また、上告人が確定申告を為すにあたり源泉徴収票を添付せす給与明細書添付して為したことをも事前調査できた被告国指定代理人側にとって、上告人がおよそ税務上の知識に乏しい者であると被告国指定代理人側は推測できただろうこともあり、前者の弁論を展開するにあたりこれを具体的にする意味で、甲第四五号証に見られるような被告川畑周悦の誤記理由弁明を補うようなものとして税務実務上特に修正申告実務上の要請からということで『名簿』という観念を引き合いに出しても、たとえそれが実際の当該実務にとっては一切存在しない仮空のものであったとしても、これを上告人は追及して来ないだろうとの予測が被告国指定代理人側に成り立ち、却って上告人はある程度納得して追及のの矛をおさめるのではないっかとも被告国指定代理人側は期待することができたものと推定できる。そうしてこの予測や期待が実現すれば、後者の弁論を採った場合に考えられるリスクである、上告人からの上告人の母親や被告川畑周悦に対する証人申請が為されることも無論のこと消滅するであろうし、結局弁論は無事終結するに及ぶであろうと期待され、これが前者の弁論を採用した場合の最大の魅力であると、被告国指定代理人側は、認識することができたであろうことも推定できる。ただ、前者の弁論を採用して実行した場合、上告人から高橋正俊に関する右調査事実を指摘され攻撃されるという危険度の高いリスクを持つのは逃がれがたいものとして、あるから、仮にそうした事態が生じたとしても逃れられる手立てが被告国指定代理人側にとって必要であっただろうことは言うまでもない。ところが裁判官荒井をうまく抱き込むことにより、前者の弁論を具体的に展開した第二回口頭弁論における弁論が、実は被告川畑周悦の為した誤記理由についての弁明がもともとそうであったのと同様に可能性上の話という趣旨から為されたものであると、後に主張することは、十分可能であると被告国指定代理人側には期待することができたであろうし、また、そうなれば、被告川畑周悦の為したものまで含めてそれまでの誤記理由についての全弁明が可能性上のものという趣旨から為されたものであったと最終的に方向転換したところで、上告人からの上告人の母親並びに被告川畑周悦に対する証人申請が為されたとしても裁判官荒井の指揮により斥されることもできると被告国指定代理人側は、認めることができたものと推定できる。しかしそうは言っても、前者の弁論から始めてこれを後に可能性上のものという形で趣旨変更を故意に為して弁論の修正を謀って弁論を展開する場合、裁判官荒井に明確な不正を為させる形が表面化するに相当する事態が生ずることにおよそなるであろうから、できれば裁判官荒井がそのような共謀にははっきりと加わったと判断けいるような形が表面化するうような事態を生じない形で訴訟を無事切り抜けたいものと被告国指定代理人側が判断したであろうことも推定できる。そこで被告国指定代理人側は、後者の弁論をいきなり選び実行した場合にも、上告人からの上告人の母親並びに被告川畑周悦の証人申請をつぶすために裁判官荒井に全協力的に不正に加わってもらうかたち指揮を振るってもらう必要も生じることが予想され、その場合には裁判官荒井の共謀が表面化する事態が招来する恐れも考えられたためこれをいきなり採用することを避け、したがってまず第二回口頭弁論において前者の弁論を選択しこれを実行し、上告人がこれにより追及の矛をおさめることを特に期待することに賭けて出たものと推定できる。万が一、この賭けが失敗しても、被告川畑周悦のものまで含めて誤記理由についての全弁明が可能性上のものであるとの弁論趣旨に切り換え、裁判官荒井を全協力的に不正に参加させる形で全員で頬被りしてしまえば、後はどうにでもなうという最後の切り札を持つことも可能であったがゆえに。すなわち被告国指定代理人側は、まず、上告人を軽く見て、第二回口頭弁論において釈明の指示があろうとなかろうとに拘らず前者の弁論を展開することとし、すでに一、で見た『名簿』云々という誤記理由についての弁明陳述を為し、第二回口頭弁論においてあるいはその後において、上告人が高橋正俊に関する右調査確認事実を指摘してきたら、その弁明とおよび被告川畑周悦の弁明を含めて可能性のものという弁論趣旨にのっとった弁論に切り換えると言った二段構えの弁論方針を決定し実行することにしたものと推定できる。ところがしかし、第二回口頭弁論において『名簿』云々弁論を試みた直後に、その法廷において上告人から高橋正俊に関する右調査確認事実を即座に指摘されたときは、右弁論はきわどいものになることが被告国指定代理人側にはどうしても最後に残された危難であったと認識されていたものと推定できる。その場合、たとえば『先ほどの弁論で申し忘れましたが。先ほどの弁論はあくまで可能性の態様を示したものにすぎないものであることをお断わりしておきます。』などと言った文言で裁判官荒井に指摘することで逃れようとしても、裁判官荒井が不正指揮の表面化するのを恐れずに被告国指定代理人側の不実供述並びに不実弁論行為に全協力的に支援するに回わるにしたところで、その裁判官荒井でさえ被告国指定代理人側の不実供述による失点を回復させる術を見い出し難いものと、被告国指定代理人側には判断されたものと推定できる。また、こうした危惧は、上告人が第二回口頭弁論の後に高橋正俊に関する右調査事実を指摘するようなことが起こった場合でも、第二回口頭弁論の最中に起こった場合の緊急性はないものの同様に及ぶものと、被告国指定代理人側に判断されたであろうことも推定できる。とにもかくにも被告国指定代理人側にしても、そしておよそ被告国指定代理人側の不正弁論という意図を認容しこれに協力することを少なくとも本件第一審第二回口頭弁論までに肯認したと推定できる裁判官荒井にしても、できれば、訴訟において不正が存在したという事実形跡が残らないような形で無事に終結することを、希っていたであろうことは推定できる。したがって、この希いのためには、第二回口頭弁論において被告国指定代理人側が前者の弁論を採用して『名簿』云々弁論を遂行した直後に、あるいはそうでなくとも第二回口頭弁論後に、上告人から高橋正俊に関する右調査事実を指摘されそれに対応して被告国指定代理人側が前記したような不正な弁論に出るとしても、被告国指定代理人側が、場合によっては裁判官荒井までもが、不正を働いた事実形跡が存在したということを示し難いような便法としての何らかの応急避難できる策術が、被告国指定代理人側にも、さらに裁判官荒井にもいかんとしても求められていたものと推定できる。しかしいくら応急避難のための策術と言っても、事後的に働きかける性質のものであってはおよそ不正を庇いきれない筋のものであるだろうということが被告国指定代理人側にも裁判官荒井にも考えられただろうし、いっそのこと被告国指定代理人側が第二回口頭弁論において可能性上の話という趣旨を明かして『名簿』云々弁論をを為すとしても、前記したように、後者の弁論をいきなり採った場合のリスクと同じリスクういっているものであることは明らかであると認識できただろうゆえに、もともと『名簿』云々弁論が前者の弁論にのっとって考え出されたものでありその方向性でこれを為すために採用されたものであった関係上から『可能性上の話という趣旨』を口にすることが結びつかないものと認識できる以上に、被告国指定代理人側が第二回口頭弁論において『名簿』云々弁論を為すにあたり被告国指定代理人側自らが『可能性上の話という趣旨からする弁論である』旨明言することはできないものと、被告国指定代理人側も裁判官荒井も判断したとも推定できる。とにかく『可能性上の話という趣旨』を被告国指定代理人側が前もって言うことは絶対に避けたいことがらであることは、被告国指定代理人側にも裁判官荒井にも明らかであっただろうし、ことは、『可能性上のものという趣旨』を後になって言いうるかどうかに関わってくる問題であり、裁判官荒井が事後的に被告国指定代理人側の弁論趣旨に対する変説を庇い立てすることもかなわない筋のものであるということが認識できたわけであるから、一つの考えられる方策として、被告国指定代理人側の弁論に先立って裁判官荒井が『可能性上の話のものという趣旨』という文言に相当する言葉を前もって口述するという策術が残されていると、被告国指定代理人側および裁判官荒井は認識したものと推定できる。すなわち、被告国指定代理人側および裁判官荒井は、第二回口頭弁論において被告国指定代理人側が裁判官荒井の釈明を求める指揮を待たずに『名簿』云々弁論を被告国指定代理人側の自発により為すとする考えを捨て、裁判官荒井が救釈明を為すことにし、それに応じる形で被告国指定代理人側が弁論を為すことにまず決定し、そうして裁判官荒井の救釈明の言葉を、後々の弁論趣旨の故意による変説をできるだけ不正事実の存在した形跡が見えないような形で実行できるように、応急避難を実現させる意味合いのもの――『可能性上という趣旨』という意味を表現する言葉――を含ませたものとすることに考え及び、これを実行することに両者同意し決定したものと推定できる。およそこうして被告国指定代理人側と裁判官荒井との間に、第二回口頭弁論において被告国指定代理人側が『名簿』云々弁論を前者の弁論を採用した形で為すにあたり、裁判官荒井が被告国指定代理人側に対して『実在的ではなく可能的に釈明できますか。』といった旨釈明を求めることとすると、互いに了解したものと推定できる。

およそ以上のような動機および経緯のもとに被告国指定代理人側と裁判官荒井との間で詭計が謀られ、被告国指定代理人側が前記したように二段構えの弁論展開を不正に実行し、裁判官荒井が陰になり日向になり被告国指定代理人側のそのような弁論に最終的には自らも明らかなる不正を犯して協力したものが本件第一審であったと推定できる。

そうして実際、詭計を実行したところ、第二回口頭弁論において上告人から高橋正俊に関する右調査事実についての指摘はなかったものの、上告人が被告国指定代理人側の誤記理由について為した『名簿』云々弁論には納得できない旨明言し、さらにそのうえその弁論を指して虚偽のものである旨主張したように解される主張を為したこと、およびおよそ第二回口頭弁論で被告国指定代理人側が受領することとなったと考えるられる上告人の『第一準備書面』(甲第四九号証上告人の平成七年九月一日付日記によればこの『第一準備書面』の正本は平成七年九月一日に提出されており、甲第五四号証上告人の平成七年九月四日付日記によればその副本三部は平成七年九月四日に提出されていることが明らかであるから、この『第一準備書面』は、被告国指定代理人側がおよそ第二回口頭弁論の出頭の際に受領したものと推定される。)には、上告人の住所に酷似した住所地に高橋正俊が実在するとの指摘などあったものの高橋正俊に関する右調査事実についての指摘は依然なく、第二回口頭弁論後に上告人が被告国指定代理人側の第二回口頭弁論における不実弁論を指弾する意味でも作成した『第二準備書面』により、高橋正俊に関する右調査事実について指摘されるのをみるにいたったが、実際時機に遅れた指摘であり第二回口頭弁論でこれが被告国指定代理人側の『名簿』云々弁論直後に指摘される場合の緊急性はもはやなく、被告国指定代理人側も裁判官荒井ももはや覚悟さえ決めてしまえば恣意的にどうにでもなると認識できたであろうし、また、第三回口頭弁論において可能性の態様という趣旨を窺わせる弁論を、被告国指定代理人側が高橋正俊に関する右調査事実に躊躇することなく却って大胆に恣意的にさらに為すことで、それにより上告人がその放恣な弁論をさらに指摘してくれば(実際それまでの上告人の対応振りを見れば上告人が書面などで指摘してくるであろうことは被告国指定代理人側にも裁判官荒井にも容易に判断ついたであろうから。)逆にいよいよ可能性の態様という趣旨が見えてくるといった点も考慮されたために、被告国指定代理人側も裁判官荒井も双方とも安心して第三回口頭弁論以後において本詭計を完遂したのが本件第一審であったことが、ここまでに認定できると考えられるとして指摘した諸事実や諸判断に加え以下に記述する諸事実をもとに認定できるものと考えられる。

六、五、に記載したような被告国指定代理人側と裁判官荒井の共謀による詭計の実行のあったことは、次に記述する諸事実および五、までに記載した認定できるとして指摘した諸事実・諸判断を総合して、認定できると考えられる。

(一)(ア) 第二回口頭弁論および第三回口頭弁論のどちらにも被告国指定代理人として出頭した高野博、田部井敏雄、井上良太が、第三回口頭弁論において、第二回口頭弁論における『名簿』云々弁論を為した事実のあったことについて明確に認否を表明することを避けた事実(これはすでに三、に記載したとおり)。

(イ) 特に高野博、井上良太の二名は、甲第三〇号証で明らかなように、第二回口頭弁論において『名簿』云々弁論のあったことについてその翌日上告人の電話での問い質しにより認諾を表明した事実を黙過して第三回口頭弁論における田部井敏雄による(ア)のとおりの認否逃避と解される弁論を黙認した事実

(ウ) 裁判官荒井が、第二回口頭弁論における被告国指定代理人側の『名簿』云々弁論は甲第七号証及び甲第八号証を作る際に『名簿』を作成しその『名簿』に高橋正俊野名前と上告人の名前が前後して並んでいたことまで表明して為されたものであったと上告人により第三回口頭弁論において指摘されたとき、そこまではよく覚えてない旨表明した事実。(甲第四三号証の反訳中一頁二行ないし二頁二行。ワープロにより挿入された空白行を行数に数えず。なお、この指摘箇所には、甲第七号証及び甲第八号証を作成する際に『名簿』を作成した旨や、高橋正俊の名前と前後している旨の指摘中に『名簿』という言葉の指摘が記録されていないが、甲第七号証および甲第八号証を作成する際に『名簿』が作成された旨については、上告人は、右指摘箇所の一頁二行に見られる文言を述べるにあたり表明したことを記憶しているし、甲第三〇号証で言質をとってある旨を為している部分で、右記録のない部分を追補しているものと考えられる。裁判官荒井は、この甲第三〇号証で言質をとってある旨の上告人の表明に対してこれに明確に認諾を与えることもせず、話題を逸らしていることも明らかに確認できる事実――甲第四三号証反訳中二頁一二行――である。)

これは、第二回口頭弁論において裁判官荒井が、特に『名簿』に高橋正俊と上告人の名前が並んでいたと事実的かつ具体的に上告人に対して説明した行為のあった事実(甲第四四号証の反訳中一三頁二行ないし八行。および一五頁一六行ないし一九号。)にそぐわない事実である。

(エ) 第二回口頭弁論に被告国指定代理人として出頭した高野博、田部井敏雄、井上良太の三者がともに出頭した第三回口頭弁論において、田部井敏雄が申告書を綴ってそれを名簿代わりにして実務を為したことが事実確認できた旨陳述しことが明らかな事実であり(甲第四三号証の反訳中三三頁九行ないし一三行)、この陳述で田部井敏雄が『修正申告書』とはっきり明言しなかったのも明らかに確認できる事実である。これは、上告人が『第二準備書面』で指摘した高橋正俊に関する二つの事実――修正申告の経験のない事実および平成七年六月ごろ中野税務署から高橋正俊に高橋正俊の営む事業について尋ねたい旨の呼出状が送付された事実――を意識したものであると考えられる。すなわち、第二回口頭弁論において被告国指定代理人側が為した、修正申告の経験なしという高橋正俊についての事実看過を伴っている『名簿』云々弁論を修正しなおかつ高橋正俊に対して中野税務署から右呼出状のあった事実を可能的に事実合意又は事実指示できるような事実描写として、『修正申告書』という名辞から『申告書』という観念に慎重に乗り換え修正し、これを束ねれば(綴れば)『名簿』になるとい認識を確認事実として表明したものであると、解することのできるものである。しかし、これは修正申告の経験なしという高橋正俊に関する事実を黙過させた弁論であると言わねばなるまい。『申告書』と言えば、やはり誤記理由を問い質すもととなった当面の問題になっている修正申告を指示する文言と解すべきであり、そうした文言を口述することは、高橋正俊の修正申告の経験なしという事実を黙過させた弁舌を為したことに相当すると言わなければならないからである。すなわち、被告国指定代理人側の申告書の綴り云々という右弁論には、言葉に現れた表面上ということでは高橋正俊の修正申告の経験なしという事実を無視したおよそ不誠実な説法の存在を認めなければならない。被告国指定代理人側は、こうした鵜誠実さを認識できるのにもかかわらず、敢えてこうした不誠実な弁舌を為したことが事実として認定できるものである。

(オ) 裁判官荒井は、(エ)に記述したひょうに被告国指定代理人側が申告書の綴り云々という弁論を裁判官荒井に向かって為したとき、この弁論を了解して右弁論の内容をさらにふくらませて上告人に対して説得するかのような説示に出たことは明らかな事実である(甲第四三号証の反訳中三三頁六行ないし三五頁三行)。しかも、裁判官荒井が被告国指定代理人側の右弁論を受けて上告人に対して右のように説示する際、裁判官荒井も『修正申告書』とは明言することをしないで、手元の書類を手で指し示しすつ「こういう申告書」とあいまいに言辞していることも明らかに確認できる事実である(甲第四三号証三三頁一八行ないし二〇行)。このことは、裁判官荒井も、(エ)で記述したとおりに高橋正俊の修正申告の経験なしという事実を黙過させ、さらに無視した不誠実な説示を、それが容易に不誠実な説示になるものと認識できるのにもかかわらず、敢えて為したことが事実として認定できるものである。裁判官荒井が手元においていた書類と考えられるものの中で、「こういう申告書」として手で指し示したものと考えられることのできるのは、修正申告書か確定申告書以外には存在しなかっただろうことが明らかである。何となれば、本件における書証として提出されたものは、乙号証まで含めて修正申告書用紙と確定申告書用紙の控え(甲第六号証)だけであるからであり、『申告書』という名辞にあたいしないハガキや申請書等の他の書類を手で指して裁判官荒井が「申告書」と言うことは言い間違った場合を除けば考えられないし、書証や本件に関する書類以外の書面を裁判官荒井が持参したとも考えられないからである。したがって裁判官荒井がこのとき「こういう申告書」ということで手で示したのが確定申告書か修正申告書かのいずれかになるだろうが、そのいずれであったにしも、当該誤記を発生した実務を説明するものとして両者のいずれかでも引き合いに出して説示することは、明らかに高橋正俊の修正申告の経験なしという事実を看過している事実であるから、裁判官荒井においては高橋正俊の修正申告の経験なしという事実の看過ははなはだしく存在したと言わねばならない。

以上(エ)、(オ)、については、高橋正俊の修正申告の経験なしという事実に頓着しない放恣な口述と、五、の最後で記述したものにあたるものである。

(ア)ないし(オ)より分かることは、被告国指定代理人高野博、田部井敏雄、井上良太および裁判官荒井の四者が、第二回口頭弁論において被告国指定代理人側の『名簿』云々弁明行為のあったことについて、事実認否を為すことを忌避しているとも解せる曖昧うやむやにする弁舌を為し(高野博、井上良太は右弁舌を黙認し)、さらに高橋正俊の修正申告の経験なしという事実を無視または看過していると解すことのできる、高橋正俊の修正申告の経験なしという事実に頓着しない放恣で不誠実な口述を為す(高野博と井上良太は右口述を黙認する)という二点について、第三回口頭弁論において同時に行為していることを明らかにしたものである。すなわち、法廷がおよそ合法的に事実や判断を認定することに努める場であるということにおいては、およそ考えがたい不誠実な一致が、被告国指定代理人側と裁判官荒井の間に以上の二点にわたって第三回口頭弁論において発生したことを物語るものである。しかもこれは、以上の二点について、そのどちらにも影響を与える事実を指摘している上告人の『第二準備書面』と、および前者にだけ影響を与える事実を指摘している上告人の『第二準備書面』と、および前者にだけ影響を与える事実を立証している甲第三〇号証と、さらに後者にだけ影響を与える事実を立証している甲第三一号証を、第三回口頭弁論の相当以前に被告国指定代理人側にも裁判官荒井にも提示されていることを経て(『第二準備書』と甲第三〇号証については、すでに三、で、それらが被告国指定代理人側に送達された時期について記述しておいたが、そこで明示した同じ甲号証を見れば、甲第三一号証もこれらの書面と同時に提出されさらに同時に送達されていることは明らかである。)、第三回口頭弁論において被告国指定代理人側と裁判官荒井の双方において一致して見られた不誠実さであるから、この事実は、被告国指定代理人側と裁判官荒井との間に五、に記載したような詭計に関して共謀のあったことを十分裏づける情況証拠に相当するものと考えられるものである。

(二)、平成七年一〇月一二日、第三回口頭弁論閉廷直後、上告人が本件担当民事部第一八部に出向き本件第二回口頭弁論に担当書記官金子昌也の代わりに書記官として出廷した同民事部書記官小熊寿幸に、第二回口頭弁論において被告国指定代理人側の『名簿』云々弁論の事実があったかどうか尋ねたところ、覚えてない旨曖昧に供述したばかりでなく、およそ覚えているらしいことを窺わせる供述を為しつつ覚えてない旨表明するという態度に出たという事実があった。これは、書記官は不必要な応答を為すのにあたらないという認識だけには多少当てはまらないものをも含んでいる事実とも考えられる。なお、これについては参考までに後日反訳とともに証拠録音テープを提出する予定である。

(三)、裁判官荒井は、第三回口頭弁論において被告国指定代理人側の為した誤記理由についての弁論を了解して上告人に対して説示する際、「知らないけど。」と曖昧に説示する態度を執っている。(甲第四三号証の反訳中三四頁一九行)。これ、第二回口頭弁論において被告国指定代理人側が為した誤記理由についての弁論につき上告人に対して事実確定的に口述した態度と異にしている事実である。(甲第四四号証の反訳中一三頁五行ないし七行および同反訳中一五頁一六行ないし一九行)。

(四)、裁判官荒井は第三回口頭弁論において、第二回口頭弁論での被告国指定代理人側の『名簿』云々弁論や第三回口頭弁論での被告国指定代理人側の申告書綴り云々弁論を上告人が指摘したとき、右『名簿』が存在しないにかかわらず本件審理に必要ない旨繰り返し何度も強調した。ある場合(後記指摘箇所のうち、三、四番目に指摘の二箇所で、都合三回。すなわち、甲第四三号証の反訳中四七頁九行ないし一一行、同反訳中同頁一七行、同反訳中四九頁八行ないし九行。)には、右被告国指定代理人側の弁論(前者の弁論を指示していると解される。)が真実であろうが虚偽であろうがそうしたことすらも本件審理に関係ないとまで供述している。(甲第四三号証の反訳中四六頁一行ないし六行、同頁二行ないし一四行、四七頁九行ないし一七行、四八頁二行ないし四九頁一二行)。これは、甲第四三号証によれば、六、(一)(ウ)で指摘した第三回口頭弁論における裁判官荒井の不誠実な訴訟行為の後に為された判断表明であることが明らかな事実であるから、右不誠実な訴訟行為のうえに成り立つ裁判官荒井の独断であることは明らかな事実である。すなわち、裁判官荒井は、第三回口頭弁論において恣意的独断による訴訟指揮を働いたと非難されても当然と思える独断と失態を為したことは明らかな事実である。さらに言えば、第二回口頭弁論で裁判官荒井が実際に執った理解態度として認定できると考えられると指摘して一、および二、に記載した実体と右のような第三回口頭弁論における裁判官荒井の理解態度とは明らかに齟齬していることは言うまでもない。

(五)、甲第四四号証によれば、第二回口頭弁論において被告国指定代理人側が『名簿』云々弁論を為す際に裁判官荒井は、それを求める救釈明の言葉を与えているが、その言葉の中には、普通なら贅言と解される、敢えて釈明に指示を与える言葉が付加されていることが明らかである。すなわち、「それ)実在するんだという、「(分かんない)という感じて。それをちょっと間違ったと(いう感じで。)」という言葉がそれにあたるものである(甲第四四号証の反訳中六頁九行ないし一一行)。これは、五、に記載の「応急避難できる策術」云々という記事に関わる事実である。

(六)、第三回口頭弁論において、裁判官荒井は、職権により上告人の本人尋問を為した。上告人の本人尋問調書および甲第四三号証によれば、右尋問は、上告人の『第一準備書面』の記載のとおりその記載順に為されているのが明らかであり、裁判官荒井も尋問するにあたりたびたび『第一準備書面』の内容や当該箇所も尋問するにあたりたびたび『第一準備書面』の内容や当該箇所を指摘しているのが明らかである(甲第四三号証の反訳中八頁八行ないし一〇行、一九頁一三行、二七頁二行、同頁一五行ないし一六行)。ところが、上告人が『第一準備書面』の第二、9および10、一、に、被告川畑周悦が上告人の母親に電話で誤記理由を漏らしたこと、およびこれを上告人が上告人の母親から又聞きして書証を作成してもらったことについて、傍点を付して強調したりいくばくか詳述したにもかかわらず、裁判官荒井は、右尋問において、被告川畑周悦が上告人の母親に対してどのような内容の誤記理由を弁明したのか尋ねることがなく、また、作成された右書証がどのようものであるかについても尋ねなかった。上告人が右書証をこのときまだ提出していなかったから、後者については裁判官荒井は敢えて尋ねる必要がなかったものとも解されるが、前者について上告人は被告川畑周悦の右弁明内容までについては『第一準備書面』にその記載を為さなかったという事実があるものの、被告川畑周悦の右弁明の内容については本件審理につき不必要と判断したうえでの右不問の事実であれば、裁判官荒井が判決の第三、1、で、本件請求の根拠として「原告の供述ないし主張する点」が「曖昧なるもの」であり、「到底第三者を納得させるに足りるものとはいえない」と、判示することは、そもそも裁判官荒井の心証形成に速断があり、審理不十分に至らせる訴訟指揮に傾くものがあったものと言わねばならない。なぜならば、被告川畑周悦の右誤記理由弁明から上告人の疑義がいっそう強まったことが『第一準備書面』で十分に了解できるところであるし、甲四四号証によれば、上告人は、この点についての吟味を希望している旨およそ解することのできる趣旨から第二回口頭弁論において被告川畑周悦の証人申請の意思のあることを裁判官荒井に訴え(甲第四四号証一六頁五行ないし一七頁一三号)、なおかつ平成七年九月一五日付の上告人の証拠申請書により被告川畑周悦の証人申請が実際為されているのであるから、被告川畑周悦の右誤記理由弁明の吟味から、被告側および上告人の主張の妥当性を吟味することも裁判官荒井に十分要請されて然るべきであるからである。したがって、本件第一審の裁判官荒井の訴訟指揮には、審理不十分ないし被告側の傾くものがあったことが事実として認定できると考えられるものと思われる。

なお、裁判官荒井は第二回口頭弁論において、被告川畑周悦の行為まで争うよう上告人に実際指示を与えているのも事実である(甲第四四号証の反訳中一一頁九行ないし一一行)。

(七)、甲第四三号証によれば、被告国指定代理人側は、第三回口頭弁論において、被告佐藤信也を証人として申請する予定のない旨裁判官荒井に表明しておきながら(甲第四三号証の反訳中四二頁一三行ないし一九行)、第四回口頭弁論においてこれを翻意して被告佐藤信也の証人申請を為している(被告乙八申出分証人等目録の備考欄参照)。それまで裁判官荒井は、上告人が被告佐藤信也の証人申請を再三再四申し立てても採用する意思のない旨上告人に対して第二回口頭弁論及び第三算回口頭弁論において再三再四表明していたにもかかわらず(甲第四四号証の反訳中二三頁一九行ないし二四頁一行、三〇頁三行ないし三一頁一一行、甲第四三号証の反訳中四二頁九行ないし一九行、四三頁六行ないし七行、四四頁七行、四九頁二〇号ないし五〇頁二行)、裁判官荒井もこれを翻意して、被告国指定代理人側からも申請のあった被告佐藤信也の分についてだけ証人として採用した。右被告国指定代理人側の被告佐藤信也を証人に建てることについての翻意は、第三回口頭弁論における上告人の本人尋問において、上告人の供述から上告人の主張する請求についてその根拠の曖昧なことが観察できたがゆえに、それに反しての攻撃としての立証が、大量事務扱いによる誤記発生といった単純曖昧なもので、十分足りるものと判断することが可能であったがゆえのものであると思われる。実際被告国指定代理人側は、被告佐藤信也の本人尋問で、右単純な趣旨の立証を為し遂げた。すなわち、本件第一審では、裁判官荒井は、一方で上告人の、吟味に精密さを求めるための証人申請の要望を採用しようとはせず(甲第四三号証の反訳中三五頁四行ないし二〇行、五一頁二〇行ないし五四頁一七行)、被告国指定代理人側が単純な立証を望んだところから為した証人申請を特に採用して弁論を終結させ、その被告国指定代理人側が単純に立証した証拠等をとりあげ被告国指定代理人側には請求を排斥する理由があり、上告人には曖昧な根拠および独断しか存在しない旨判決において判示したことが明らかな事実である。

裁判官荒井が右のように立証の方向を決定できるほどに、憲法第七六条第三項にいう自由心証を基盤とする独立指揮権は、裁判官荒井にはおよそ与えられていないであろうし、裁判官荒井が第三回口頭弁論において繰り返し上告人に対して表明した、控訴審での不服解消の道があるところで(甲第四三号証の反訳中四三頁六行ないし一八行、五三頁二行ないし五四頁一七行)、第一審において以上のような一方の側に傾いた粗描的な審理展開により終結させるほどに第一審の審理が粗雑であることも許されないことは明らかであると思われる。また、条は、その望む立証を封じ込められてしまえば、立証不十分となりひいいては曖昧な根拠と断じられてしまうのも無理のないところである。

なお、裁判官荒井が、証人の採否につき、被告国指定代理人側の要望についてすんなり聞き入れ表明しているところが、甲第四四号証に見ることができる。それは、同甲号証の反訳中三〇頁三号ないし三一行一一行に見られるものである。右指摘箇所中、三〇頁一八行で、被告国指定代理人が口述している「当人尋問」という文言のうちの『当人』とは、ここでの前後関係や第三回口頭弁論での被告国指定代理人側の主張から上告人の当人を指すと解せられ、被告国指定代理人側は、上告人の尋問から望んでいる旨表明していることが理解できる。

(八)、第二回口頭弁論において上告人が被告国指定代理人側の為した『名簿』云々弁論を認めることができない旨表明した際、裁判官荒井は、「どんなところ(がなの)。」と上告人に質すところがあった(甲第四四号証の反訳中一三頁五行ないし一三行)。これは、被告国指定代理人側の右弁論が功を奏するか否か裁判官荒井が様子を窺うような事実があったものと解することができる事実である。

七、五、ないし六、により、裁判官荒井に、本件第一審訴訟の指揮において不正のあったことは認定できる事実であると考えられる。裁判官荒井の平成七年(モ)第一〇一四四号『決定』文書において、決定的な齟齬のあることは、一、ないし四、によりもはや明白であるが、五、ないし六、ににより、右のように裁判官荒井自身に不正の存在したことも認定できるから、右『決定』文書は、故意に右齟齬を記述して作成されたものと認定できる文書であると考えられる。すなわち、裁判官荒井の右『決定』文書は、虚偽公文書と認定できると考えられるものであり、本件第一審におけるその行使は、虚偽公文書の行使に相当すると認定できると考えられる訴訟行為である。

八、以上一、ないし七、により、要するに本件第一審は、被告国指定代理人側および裁判官新井の共謀のもとに、両者ともに虚偽公文書の作成およびその行使という明確に公序良俗に違反する行為を為すことによって、上告人の訴訟行為を決定的に妨害し、被告側に判決の不正取得をもたらしめた裁判であったことが、事実認定できると考えられる。

第二、上告理由

以下に、記載した事実をもとに考えられる上告理由を記載するが、理由を記述するにあたり、被告国指定代理人側については、本件第一審において明らかなる虚偽公文書の作成およびその行使を認め、裁判官荒井においては明らかなる虚偽公文書の作成およびその行使が実際認められるものの、仮に本件においての裁判官荒井の『決定』文書の作成・行使が過失にもとづくものであったとした場合も含めて考慮することとして記述することとしたい。なお、そのような記述の前後に、まず、冒頭では、裁判官荒井と被告国指定代理人側が実際に犯した右犯罪行為にかかわらず第一審判決が絶対的に理由不備および審理不尽を滞有していうことを指摘することとし、後方では、裁判官荒井も虚偽公文書の作成およびその行使を働いた事実を特に考慮して、その場合の特段の上告理由を記述することにしたい。

第一上告理由

第一審判決の「第三判断一、1、被告佐藤に対する請求について」では、上告人の『第二準備書面』に記載の高橋正俊に関する税務上の事実に対しての判断が留保され、明確に述べられていず、ただ、誤記原因が、被告佐藤信「の供述によっても誤記の原因は明らかでない」が、後術するような大量事務取り扱いのような場合、「同被告にとって誤記の原因が不明であることも当然ありうる。」といった、誤記原因が不明となることの可能性を述べるに留まっているが、この説示(要約すると大量事務扱いといった状態では、高橋正俊に関しての右事実を考慮するまでもなく、『正俊』名が偶然に上告人の姓の下に誤ってどこかの書類から移記されるといったことが起こることもありえ、上告人と上告人の住所に酷似した住所地に住む高橋正俊との双方の名前と住所が偶然の一致で混ぜ合わさったような書類が出来上がったと考えることも可能であり、こうした場合誤記原因が不明となるのは無理もない、といったような判断である。なお、判示は、実際これほど明快なものではなく、論旨を曖昧にぼかした浅薄な説示に留めている。)からすれば、誤記が故意であるとの上告人の主張を退ける理由ともなりえない。したがって、右判決の右引用箇所部分の前で、裁判官荒井は、上告人が本件で為した弁論の説得性について考慮して「納得させるに足りるものとはいえない」と判示を加えて、上告人の故意説を退けているが、仮に譲歩してこの判示が妥当だとしておくことにしても、右判決の「第三判断二、被告川畑に対する請求について」における判示は、妥当であるとは言い難い。それを次に示す。

本件第一審では、本上告理由書の第一、ですでに見たように、本来ならば誤記が生じる可能性もよく吟味したうえで、上告人の故意説を排斥すべきところ、上告人が主張立証しようとして意図していた(以下のようなものとして上告人が裁判官荒井に表明し切望していたことは、『第一準備書面』の第二、9ないし10、甲第一九号証〔乙第五号証〕平成七年五月一九日付内容証明郵便の一枚目二二行ないし二五行、上告人の本人尋問調書の二二、甲第四四号証および甲第四三号証で明らかであると思われる。)、被告川畑周悦の誤記理由弁明からの誤記可能性の吟味を、右弁明が虚偽弁明にあたるのか真実の弁明にあたるのかという観点から為すことにより、被告佐藤信也の誤記が故意によるものなのか過失によるものなのかを判断するといった審理が上告人の申し立てにより実際求められたいたのにもかかわらず、裁判官荒井は、被告川畑周悦の証人採用を為さずこれを切り捨てたことは、事実である。この事実は、それが、裁判官荒井の有する専権に属する自由心証判断が妥当に働いて為された訴訟指揮のもとによるものであったと、解することがきるところからのものであったとしても、次の事実は、右のような裁判官荒井の訴訟指揮が、裁判官荒井の専権に属する自由心証判断が常に妥当なところから為されていたものであったとは、言い難いことを指摘できる事実であった。本上告理由書の第一、で見たように、裁判官荒井は、自らの専権としての職権により採り上げた上告人の本人尋問において、上告人の『第一準備書面』の記載順に尋問し、右『第一準備書面』の記載内容を確認する尋問を為していることが明らかであるが、上告人が右『第一準備書面』の第二、9ないし10で記述した内容、すなわち、被告川畑周悦が上告人の母親に口述したことについて上告人が上告人の母親から又聞きしたとき、上告人が被告川畑周悦の為した右口述内容として上告人の母親から又聞きした内容に格別の興味を示したことについて、傍点を付すなどして強調して記述してあった点について、裁判官荒井は、『これはいったいどういうことですか。』、『被告川畑周悦は、あなたの母親に、いったいどういうことを言ったのですか。』と聞くことは一切なかったことは明確な事実である。そして、裁判官荒井の上告人本人尋問における訴訟指揮が、総じて、上告人の本人尋問調書、や甲第四三号証で見られるように、本件に関しての事実関係確認を表面的に簡略にまとめあげる尋問に終始したことも明らかな事実である。こうした経緯から、およを右のような尋問により出来上がった証拠『上告人の本人尋問調書』をもとにして、右判決の「第三判断二、被告川畑に対する請求について」において、裁判官荒井は、被告川畑周悦には「他に格別の意図もなかったことが認められる」と判示している。要するに、第一審判決の「第三判断二、被告川畑に対する請求について」における判示は、裁判官荒井が、上告人の右のような強い要望を斟酌して甲第一九号証(乙第五号証)の右指摘箇所で指摘したような被告川畑周悦の行為について吟味考慮することを一切示さず、上告人の本人尋問調書の二三、に見られるように、ただ、被告川畑周悦の行為を簡略化して理解することにだけ終始させ、もって被告川畑周悦の行為についての吟味を不十分に処することによって判示したものに相当する。したがって、被告川畑周悦についての右判示には、審理不尽により理由不備があり、これが、右判決の「第三判断一、1、被告佐藤に対する請求について」において、被告佐藤信也の供述より「本件当時、中野税務署に提出された多数の確定申告書を審査し、その不備等の補正を促すなどの事務を大量に処理するうち、その間、原告に対し修正申告の提出をしょうようする文書等を郵送した際、右の文書や同封の修正申告書用紙に不注意で原告の名前を誤記したことが認められ」るといった、右吟味不十分なところから成立した立証論旨により、被告佐藤信也が、「故意に原告の名前を違えたものとは認められない」と判示している部分に、審理不尽による理由不備を招かせていることは明らかである。すなわち、第一審判決の「第三判断一、1、被告佐藤に対する請求について」すら、理由不備及び審理不尽を帯有していることになる。よって、第一審判決には、理由不備及び審議不尽の違法が存在することが明らかである。

原審において、第一回口頭弁論期日に上告人が期日指定日を誤ったために不出頭となり、民訴法第二五三条、第三七八条により弁論が即日終結される経緯があり、これに対して、判決言渡期日より相当の期間をおいて上告人が弁論の再開の申立書を提出し、その申立書の中で、原審第一回口頭弁論の期日変更の申立書に添付した附属書類中に新たに提出予定の証拠録音テープとして予告記載していた甲第四三号証及び甲第四四号証を指摘して、これをもとに原審において本件第一審に不正のあったことを立証する意思のある旨弁論再開の申立事由を記述したことにより、原審担当裁判官らは、民訴法第一三三条により弁論再開を認める理もあったと思われるが、弁論再開を認めなかった。したがって、原審において擬制陳述を除いて上告人の弁論が為されないままに第一審判決をそのまま支持引用した原判決には、第一審判決に対して右に理由不備及び審理不尽として指摘した点において、第一審以上にその判決に理由不備および審理不尽が存在すると言わねばならない。したがって、上告人には、明らかに民訴法第三九五条第一項第六号により上告理由があり、原判決は破棄を免れない。

第二上告理由

本上告理由書の第一、によれば、第二回口頭弁論、第三回口頭弁論及び第五回口頭弁論での被告佐藤信也の本人尋問の都合三回、被告国指定代理人側の為した誤記理由についての弁論には、明らかに齟齬がある。これが認定できるから、第一審判決における判示理由はそのままでは到底維持されるものではなく、したがって、第一審判決には、厳に理由不備が存在する。原判決は、第一審判決をそのまま支持引用した判決であるから、原判決が、右同種の理由不備を帯有することは明らかである。よって、上告人には、民訴法第三九五条第一項第六号により上告理由があり、原判決は破棄を免れない。

第三上告理由

被告国指定代理人側は、平成七年二月一四日付『文書提出命令申立てに対する意見書』において虚偽を記載し第一審においてこれを行使し、裁判官荒井の平成七年(モ)第一〇一四四号『決定』文書に虚偽なる事実を記載せしめた。したがって、被告国指定代理人側には、民訴規則第三条に対する違背が厳にある。本上告理由書を記載するにあたり上告人が参考とした『解説実務書式体系第二六巻紛争解決編一、和解民事調停民事訴訟』(三省堂一九九五年)の三二八頁によれば、右法令違背は、訓示規定の違背に相当すると思われ上告理由にならないものと解されるのかもしれないが、被告国指定代理人側は、右法例違背を働くにつき、虚偽公文書の作成およびその行使といった犯罪を為し遂げたものであるら、訓示規定の違背といえども到底許されるものではない。すなわち、右法令違背が右訓示規定の効力に影響を与えないどころか、その逆に右訓示規定の効力をないがしろにするに相当する違背と言えるものであるから、そのような訓示規定法令違背にも民訴法第三九四条により上告理由が与えられて然るべきであると考えられる。被告国指定代理人側が為した右法令違背は、裁判官荒井が右『決定』を経て為した第一審判決の結論に影響を与えていることは、明らかであり、したがってまた、第一審判決をそのまま支持引用した原判決の結論にも影響を与えていることは、明らかである。よって、右の意味から、上告人には、民訴法第三九四条により上告理由があり、原判決は破棄を免れない。

第四上告理由

裁判官荒井は、故意又は過失により、被告国指定代理人側の第二回口頭弁論における『名簿』云々弁論が実際に行われた事実を指摘する言明として為されたものであることを正しく認識せず、可能性上の話として誤った事実認定を為し、上告人の文書提出命令申立てを却下したものであるから、右却下は、本来右申立てが理由あるべきところを故意又は過失による錯誤認定により為されたものとなるわけであるから、裁判官荒井には、民訴法第三一四条第一項に対して違背があることは明らかである。しかも、この違背は、裁判官荒井が右却下決定を下した後に、被告国指定代理人側が被告佐藤信也の為した誤記理由としての弁論趣旨として採用し第五回口頭弁論で被告佐藤信也の本人尋問により立証した、誤記当時被告佐藤信也が大量事務扱いをしていたというものを成立させ、第一審判決において裁判官荒井がこれを認定し上告人の故意説を排斥する判断理由として採用したのであるから、採証法則違反により第一審判決が成立したことは明らかである。したがって、裁判官荒井による右民訴法第三一四号第一項違背は、第一審判決の結論に影響を及ぼしていることが明らかであるから、第一審判決をそのまま支持引用した原判決の結論にもまた影響が及んでいることは明らかである。したがって、まず、上告人には、民訴法第三九四条により上告理由があると言うべきである。なお、『解説実務書式体系第二六巻紛争解決編一、和解民事調停民事訴訟』(三省堂一九九五年)の三二八頁によれば、「原審の訴訟手続に訴訟法規違背がある場合」、それが「任意規定の違背」であり、「それについての責問権放棄喪失があれば、上告理由とならない」旨指摘がある。しかしながら、およそ任意規定と考えられる民訴法第三一四条第一項に対する裁判官荒井の違背は、まず、第一審における違背であり、上告人は右違背に対して民訴法第三一五条により即時抗告を為すべきであったがこれを為さず、右違法をも追及するものとして原審での不服申立てに切り換えたのが事実であるから、右決定による右却下に対しての責問権の放棄喪失は為されていないものと考えるのが相当と思われる。したがって、右の事由による上告理由申請は妥当であると考えられるがゆえに、原判決は破棄を免れない。

また、仮に、右即時広告の放棄喪失により、上告人がいくら右違法の追及を控訴審での追及に切り替えたところで、民訴法第三一四条第一項における裁判官荒井野右違背に対する責問権については、すでにその放棄喪失が完遂されたものと解されるのだとしても、裁判官荒井による右民訴法第三一四条第一項違背により成立した第一審判決の判示理由には、右のような採証法則違反による瑕疵が帯有されていることは明らかであり、裁判官荒井が右錯誤認定を為さず正しく認識していれば、第一審判決に裁判官荒井が示した判示理由はそもその妥当しないことが認識できたことは明らかであり、すなわち、本件請求を認定するか棄却するかの判示理由については裁判官荒井にとって未だ十分に判明でないことが容易に認識できたわけであるから、したがって、第一審審理には当然ながら審理が尽くされていないものがあると裁判官荒井は認めたはずである。よって、まず、第一審判決には理由不備及び審理不尽の違法が存在することは明らかである。したがってまた、第一審判決をそのまま支持引用した原判決にも当然ながら理由不備及び審理不尽の違法が存在する。これによって、上告人には、民訴法第三九五条第一項第六号により上告理由がいかんとしても存在するから、原判決はいかんとしても破棄を免れない。

第五上告理由

裁判官荒井は、第一審第二回口頭弁論において被告国指定代理人側の誤記理由についての『名簿』云々弁論を実際に行われた事実を説明した言明として理解しておきながら、故意により、平成七年(モ)第一〇一四四号『決定』文書において、右弁論について「修正申告書を作成する際に名簿等を見誤った可能性がある旨述べたにすぎないことは、当裁判所に顕著な事実であり、右指定代理人が名簿等の体裁、内容その他具体的な事項には何ら言及していない」ものであると、判断齟齬を為し、上告人の文書提出命令を理由なきものとした点において、裁判官荒井には、第一審の全口頭弁論における全趣旨を斟酌することにおいて明らかに故意に失責している。したがって、裁判官荒井には、民訴法第一七五条に対する手続き上の重大な違背があることは明らかであり、この手続き上の法令違背が、第一審判決の結論に影響を与えていることは明らかである。すなわち、裁判官荒井が、右手続き上の法令違背を右のごとく故意に犯さず、被告国指定代理人側の虚偽弁明行為を正しく認識していたあらば、第一審判決の判示理由からする第一審判決の結論が維持される理のないことが全く明らかである。したがってまた、第一審判決をそのまま支持引用した原判決の結論にも、裁判官荒井の右手続き上の法令違背が影響を及ぼしていることは明らかであり、原判決の結論は、その判決が支持する理由から維持することのできないものであることが明らかであるから、上告人には、民訴法第三九四条により、上告理由があり、原判決は破棄を免れない。

また、被告国指定代理人側が虚偽を為し、自ら引用した『名簿』について負わされるべき提出の義務を無きものにしてもって右『名簿』を民訴法第三一七条に言う「使用スルコト能ハサルニ至ラシメタル」に相当する行為を為したことにつき、裁判官荒井は、故意により被告国指定代理人側の右虚偽行為を認容して、民訴法第三一七条により上告人に与えられている権利、すなわち、上告人の『第二準備書面』における右『名簿』についての主張である、虚偽公文書ないし瑕疵事実を帯有した文書という主張が民訴法第三一七条により裁判官荒井により真実と認められる権利を、故意に剥奪した。したがって、裁判官荒井には、民訴法第三一七条に対する違背が厳に存在する。この違背が、第一審判決の結論に影響を与えていることは明らかであり、したがってまた、第一審判決をそのまま支持引用した原判決の結論に影響を与えていることも明らかである。よって、この意味からも、上告人には、民訴補第三九四条による上告理由があり、原判決は破棄を免れない。

なお、上告人は、右『決定』に対して、民訴法第三一五条により即時抗告を為さなかったが、控訴状に右のような不正を追及すべく控訴を提起する旨記載して原審請求を為したのであるから、責問権の放棄喪失は未だ為されていないと解されるものと思われる。したがって、右の事由による上告理由は、消滅していないものと解することができ、右上告理由申請は妥当であると思われる。

第六上告理由

裁判官荒井は、本件第一審において虚偽公文書である平成七年(モ)第一〇一四四号『決定』を行使したことは、憲法第七六条第三項および民訴法第一八五条及び民訴規則第三条等に重大に違背していることは論を俟たない。右憲法違背及び法令違背が、第一審判決の結論に影響を及ぼしていることも、さらに原判決の結論に影響を及ぼしていることも、もはや明白である。したがって、上告人には、民訴法第三九四条により上告理由が厳にあり、原判決は厳に破棄するに価するものである。

第七上告理由

憲法第三二条に言う裁判を受ける権利につき、「訴訟の目的たる権利関係につき裁判所の判断を求める法律上の利益を有する」(新日本放棄出版平成三年版『分冊六法全書第一巻公法編(一)』基本判例の部九ページ)前提を上告人が有していたところで、本上告理由書の第一、に記述したように相手方代理人と担当裁判官が共謀を為し、虚偽公文書の作成・行使という犯罪行為をもって上告人の訴訟行為を妨害するような裁判が上告人に与えられたのであれば、これは、憲法第三二条に言う裁判を受ける権利が上告人に保証されていることを示すどころか、逆に、名目上は裁判ということで実のところは裁判を受ける権利を剥奪された事態に上告人がおかれたに等しきものであったという他はない。新日本法規出版の右著作の右引用箇所を記事としてもつ最高裁判所昭和三五年一二月七日の判例(事件名、事件番号などの詳しいことは調べる時間のないため調べていない。)記事によれば、憲法第三二条は、右法律上の利益を有することを前提とすればそのことにつき本案の裁判を受ける権利を保障したものであると言う。したがって、この判例が右のように判示していることからすれば、本件第一審が実際右のようなものであったのだから、裁判官荒井及び被告国指定代理人側は、本件第一審において憲法第三二条に甚だしく背いた訴訟行為を為したと言うことができる。この憲法違背が、第一審判決の結論に影響を与えていることは明白であり、それゆえに第一審およびその判決は無効であり、また右憲法違背が、第一審判決をそのまま支持引用した原判決の結論に影響を及ぼしていることは明白であるから、原判決も無効と言わねばならない。したがって、上告人には、民訴法第三九四条により断じて上告理由があると言わねばならない。すなわち、原判決は、断じて破棄されなければならない。

第三、終わりに

さて、あなたがた最高裁判所の裁判官のかたがたは、右に見たように実際に行われた本邦におよそ例を見ないと思われる、犯罪をもって為された司法上の汚職に目を瞑はり、ただ国の秩序、兼録の権勢の維持だけのために、あなたがたも全員一致で、あるいはまた、小数の反対意見者という擬装の形で、常識論という体裁の擬装の頬被りをするでしょうか?

以上

(添付書類省略)

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